1983年01月

Entries Title

CALLING 1.

Date
1983-01-31 (月)
Category
LONDON CALLING

高校は全部で三つ通った
最初は県内でも三校ぐらいしかない私立の高校だった
一学期のある日
クラスの友達と授業を抜け出して
お好み焼き屋でさぼっていたところを
先生たちに発見され
そこで煙草を吸っていた生徒がいたのを理由に
自宅謹慎を命じられるはめになった
たかが煙草ぐらいで
いつまでたっても謹慎が解除されなかったのには
ぼくの家があまり裕福でなかったということも
関係していたかも知れない
いずれにしてもその高校はなんだか居心地が悪かった
親とも相談して翌年また受験することにして
学校からの連絡を待たずにその高校を自主退学した

二つめの高校は公立で
こちらも入学してから数日後
教室で煙草を吸っていたところを先生に発見され停学になった
けれども今度は一週間ほどで停学解除になり
その後二年生の一学期までは問題なかったのだけれど
夏休み明けのある放課後
ちょっとした事件があって
生活指導の先生の顔を殴って鼻を折り
そのまま退学になってそこを去ることになった

三つめは定時制の高校で
その中でも日曜だけ学校に通えばよい通信科というのがあって
そこにはたぶん入試も何もなしで入学したような気がする
今度は煙草で停学なんてこともなく
休み時間には廊下に置いてある灰皿を囲んで
生徒も先生もいっしょに喫煙する
というような感じの和んだ雰囲気の高校だったが
実はその高校についての記憶があまりない
いつのまにか通うのやめてそのままになっている
退学の手続きをした覚えもないので
もしかしたら今でも籍が残っているかも知れない
そんなはずはないか

高校ぐらいは出ておきたいというのが
ぼくのささやかな望みだった
とくに二つめの高校を卒業していたら
ぼくの人生はちょっと違ったものになったかも知れない

当時の田舎の高校生はだいたい3タイプに分類することができた
すなわち
1、ガリ勉
2、スポーツ
3、ヤンキー
今だったらオタクだのちょい悪だの
もうありとあらゆるカテゴリーの中から
自由に自分のタイプを選択することができるのだろうが
なんてったって70年代の四国である
情報のスピードや量が今とはちがう

勉強はできないしスポーツも苦手だしとなると
残るはヤンキーになるしかないわけで
仕方なくぼくも太いズボンに短い丈の学生服を着たり
万引きをしたりバイクを盗んだり
たまに喧嘩の弱い生徒を殴ってみたり
先輩のバイクの後ろに乗って
暴走族のまねごとをしてみたり
まわりのヤンキーの友達と歩調を合わせることで
一生懸命自分の居場所を作っていた
そしてそんな自分に違和感を感じながら日々をすごしていた

セックスピストルズとの出会いによって
ヤンキーからパンクへと導かれ
それで問題は解決したかに思えた
けれどもパンクの世界の中でも
やっぱりぼくがヤンキーで感じた違和感は消えることはなかった
そしてその問題はおそらく
ぼくが生きている間ずっとつきまとうであろうことを
ようやく最近になって理解したというのが事実だ

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