1982年12月

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CALLING.0

Date
1982-12-14 (火)
Category
LONDON CALLING

ぼくは東京で生まれて
三歳だか四歳の頃に
父親の仕事の関係で
家族ごと四国のある町に移り住んだ

十九才でイギリスに渡るまでのあいだ
十五年ぐらいそこにいたことになるのだけれど
実はそこでの生活はぼくにとって
あまりすばらしいものではなかった

できれば思い出したくないような
忌まわしいできごとも多々あったし
田舎特有の保守的な社会のシステムにも
うまく適合することができなかった

というわけでもなかったかしら

もしかしたらそれは後になってから付け足した記憶かもしれない

ちまたの偉人賢人というのはだいたいにして
子供の頃から社会に不適合であることが多い
そんなで人は
自らを落ちこぼれと呼ぶことで
あたかも自分が偉人賢人の仲間入りをしたような
錯覚におちいりたがるものである

いずれにしても
ぼくがいまだにその地について
あまりよい印象をもっていないことは事実だ
これは単に相性の問題だと思う
現在の交友関係から見てもぼくは
どちらかというと東よりの人たちとの相性がよいように思える

スポーツが苦手だった
運動会のかけっこでは小中学の九年間ずっとビリだった
本人は一生懸命走っているつもりなのだけど
体がそれについてこないのだ
それに
ほっぺたの肉が走るのにあわせて
上下に揺れるのが気になって気になってしょうがない

同級生の半分ぐらいが肉体的労働者の家庭で育っていた
残りの半分のうちの半分ぐらいが商人だった
ぼくの父親は教師で
教師というのはちょっと特殊な職業の方に属していた
他の教師たちの家族が特定の団地に集合して住んでいる中
ぼくたちは町のはずれに住居をかまえていた

毎日夕方の六時になると
市の中心地に立つ
ただ一件のデパートのスピーカーから
夜の到来を知らせる音楽が流れてきた
小学校四年生の音楽の授業のときに
それが
主は冷たい土の下に
というタイトルの曲だということを知った
それは風にのって
何キロもはなれた町のはずれの
ぼくたちの住むところまで届いた

ぼくは生まれながらの喘息もちだった
実は今でも吸入器をもたずに外出することができない
幼いころにはよく鼻血を出した
鼻血というやつは一度出はじめると
自分の意志では止めることができない
ただしかるべき量の血が出てしまうまで
ひたすら忍耐するのみである

最初にロックの存在を知ったのは
小学五年生のときのことだ
たぶんNHKだったと思う
KISSの日本公演の様子を放映していたのを見た
音楽そのものよりも
ステージで火を吹いたりとか
血を流したりとか
あとは熱狂的なファンが
KISSのメンバーと同じメイクアップをして
声援を送っている姿なんかが印象的だった

自分のこづかいで
始めて買ったレコードは
ピンクフロイドだった
それも小学生の頃だったと思う
プロレスにどっぷりはまっていて
悪役のアブドラ・ザ・ブッチャー
それからザ・シークというキャラクターたちが大好きだった
二人はタッグを組んでいて
ジャイアント馬場とジャンボ鶴田のコンビや
当時ものすごく人気のあったザ・ファンクスたちを
いろいろな反則技を使ってこらしめるのだ
悪役だから最後には結局負けちゃうんだけど

アブドラ・ザ・ブッチャーが
登場するときにかかるテーマ曲が
ピンクフロイドの吹けよ風呼べよ嵐
これは今聞いてもすごくいい曲だ
人間誰しも複数の性格を持っているというけれど
まさにぼくの中の邪悪なキャラクターが
目を覚まし舌なめずりしながら
自分の出番を待っている
というような思いにさせる

本当に音楽の世界に引き込まれたのはずっと後で
中学も二年生になってからのことだ
記憶が正しければそれは土曜日の午後で
昼食はインスタントラーメンだった
KISSのときと同じそれはNHKだった
画面を通じてぼくが見たもの
どぎついメイク
ハデな衣装
逆立った髪の毛
奇妙な歌声
独特のダンス
これまでに一度も聞いたことのない音楽
RCサクセションの忌野清志郎である

大人になって
あの午後のことについて話をすると
同年代の多くの人たちが
同じ日の同じ時間に
NHKで忌野清志郎を見ていたという事実に驚かされる
そしてそれを見た多くの人たちが
ぼくと同じように
RCサクセションを玄関口に
ロックの世界に足を踏み入れていったという事実にも

中学生三年生になると
同級生との間でバンドをやろう
というような雰囲気が出てきた
誰がドラムをやって
誰がギターで
というという段階で
何でベースという楽器を選んでしまったのかは謎だ
ギターよりも弦が少ないから
習得するのが楽だと考えたのか
ネックが長いので
より目立つと思ったのか
あるいは単に他にベーシストを希望するメンバーがいなかったのか
いずれにしても
ベースのもつ役割やその特性については
まったく理解していなかった

最初に買ったのは名もないメーカー
リッケンバッカーのコピーモデルだった
バンドのメンバーたちはみんな
ハードロックに夢中だったから
必然的にぼくがはじめてカバーした曲も
有名なハードロックバンドの曲だった
短い間であったとはいえ
まじめにハードロックを聴いていた時期が
ぼくにもあったわけで
それはできれば消してしまいたい過去のうちのひとつだ

音楽を聞く環境というのは最悪だった
もともと我が家にはモノラルのレコードプレーヤーと
箱形のラジオがあるだけだった
そのうちに友達から中古でカセットプレーヤーを譲ってもらった
三千円だったと思う
背が小さくて少々出っ歯の彼の名前を今でも憶えている
ペニスがでかいといううわさだったけど
それを実際に目にしたことは一度もない

FMレコパルというFMラジオの情報誌を細かくチェックして
音楽番組から気に入った曲を録音するのが楽しみだった
ラジオのスピーカーの前にカセットプレーヤーを置いて録音するのだ
部屋の中の音もいっしょに録音されるわけだから
くしゃみなんかは禁物
母親のごはんよーなんて声が入ったら最悪だ

一度録音したものは編集不可能だから
曲順もめちゃくちゃ
ジョンレノンのイマジンの後にベティーデイビスの涙
続いてショーケンのハローマイジェラシーといった具合だ
そのテープはどこかになくしてしまった
今もしそれが手に入るんだったら
百万円でも惜しくないという気がする
せめて曲名だけでもわかればと思うが
それは果たせぬ夢だ

バンドのドラムを担当していた友達の自転車の荷台に
後ろ向きに座っていた
クラスの女の子たちが通りかかったので
何気なくジャンプして自転車から飛び降りたら
慣性の法則にしたがって
そのまま後ろ向きに倒れて後頭部を打った
次の日の朝
なにごともなく目が覚めて普通に登校
しばらくして自転車から飛び降りてから
目覚めるまでの記憶が全くないことに気がついた
帰宅してカセットプレーヤーの再生ボタンを押すと
昨日のラジオ放送が録音されていた
RCサクセションのスローバラードがはいっていた

ロッキンオンという雑誌があって
今もあるかも知れない
渋谷陽一という人が編集長で
FMで番組を持っていたのを毎週必ず聞いていた
視聴者の投票ランキングで
ハードロック特集というのがあって
十位の中に二曲ランクインしていたのが
パブリック・イメージ・リミッテッドというグループだった
実際のところパブリック・イメージの音楽は
およそハードロックとはかけはなれたものだった
それはロックですらなかった
渋谷陽一もコメントに困っていた
アフリカの密教を連想させるような
そのおどろおどろしいリズムとノイズは
ちょうどアブドラ・ザ・ブッチャーとザ・シークが
小学生だったぼくにそうしたように
ぼくの魂のどこか邪悪な部分を強く刺激した

その曲はフラワーズ・オブ・ロマンス
ロマンスの花というタイトルだった
それが後にぼくの人生における
重要なキーワードになるとは
その頃のぼくにはとうてい想像できなかったと思う
反面
もしかしたら何か運命的な啓示を受けたのかも知れないとも
その真意はすでに闇の中だ

パブリック・イメージ・リミッテッドの中心人物が
ジョン・ライドンという人間で
かつてジョニー・ロットンという名前で
セックス・ピストルズに在籍していたことを知るまでには
そんなに長い時間はかからなかった
セックス・ピストルズの名前だけは前から知っていた
そして彼らの音楽を実際に聞いた瞬間から
ぼくの中でハードロックが完全に消滅した

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